『ジェミニマン』のハイフレームレート上映

アン・リー監督の新作『ジェミニマン』が公開されましたが、注目の『ハイフレームレート上映』に付いてはあまり関心が寄せられていないようです。通常の上映と比べて何が違うのか少し解説してみたいと思います。

映画のフレームレート

現在、通常の映画はフィルム時代からの慣習に従い、1秒間に24フレームという割合で制作、上映されています。

今時テレビでも毎秒60フレームで映るのに何でそんなに遅いのかと感じるかも知れません。

その一方で、フィルム映画の資産をそのままデジタル上映に変換、流用しやすいというメリットもあります。

それよりも、デジタルシネマの規格の策定時に多くの映画制作者がこだわったのが、1/24秒毎に込められた画像の質感でした。

実際、動きの大きいシーンで1/24秒の画像を観るとぼやけて見えることもありますが、そのぼやけ加減も映画の質感の一部と捉えられた訳です。

その結果、デジタルシネマでも毎秒24フレームというプロセスが踏襲されることになりました。

しかし、技術の進歩に伴い様々な映像表現の可能性が拡がるようになり、映画制作者の間でも色々な試みをすることが増えてきました。

ここで鍵になるのが最近よく耳にする『没入感』という概念です。

映画鑑賞における没入感

人が映画を観る際、何かしら自分自身が映画の中に入り込んだ感覚に浸ろうとしますが、現実の感覚とのズレが小さくなる程、より深い没入感が得られると考えられています。

没入感に寄与するものとして、視覚効果だけでなく、音響効果や(座席の)振動などが挙げられますが、ここでは特に視覚効果に絞って分類します。

分類効果没入感
解像度スクリーンの大きさとスクリーンからの距離にも依存しますが、多くの場合、2Kと4Kの違いは知覚可能です。++
色/色域白黒からカラーになり格段に現実感が高まりましたが、色の使い方はむしろ作品毎の芸術性に関連するところが大きく、没入感とは直接結び付かない要因と考えるべきでしょう。+ / –
明るさ/暗さ/階調暗部での繊細な表現や明暗の大きなシーンの描写により、より現実の光景に近い感覚を得ることができます。
ドルビーシネマではこの効果が強調される映像が作られています。ハイダイナミックレンジ (HDR) と呼ばれる手法もこれに分類されます。しかし、映画館という環境に最適な条件については業界内で議論、検討が続いており、明確な指針は得られていない状況です。
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視野を覆う割合視野を覆う割合が高い程、映像との一体感が増し、没入感は高まります。
フィルム時代のシネラマ上映ではこの効果を最大限に活かした上映が行われていました。最近ではIMAXやドルビーシネマなどのプレミアムラージフォーマット(PLF)上映がこの効果を期待するものだといえます。
+ + +
立体視 (3D)右眼と左眼の映像の視差により擬似的な立体感覚を得るものですが、効果には個人差があり、没入感を得られる人もいれば、まったく受け入れられない人も一定数いることは無視できないところです。+ / – –
フレームレートフレーム更新速度と共に現実の世界を見ている感覚に近付きますが、毎秒120フレーム以上では人間の目には実効的に大きな改善は感じられないと言われています。+ + +
周囲の光劇場内の誘導灯、壁や客席からの散乱光、3Dメガネの散乱光、不用意な明るさの字幕、スマホの光など、すべて没入感を損ねる要因となります。– –

これらの効果はすべての作品の上映に共通するものではなく、映画制作者の意図により適宜組み合わせて使用されます。例えば、白黒作品のように意図的に色を使わずに映像表現をするのは今日でもよく見掛けられます。

アン・リー監督は前作『ビリー・リンの永遠の一日』を初めて4K/3D/120フレームで制作しました。当時、特殊上映設備によるサンプル映像を観る機会に併せて、アン・リー監督の話を聞く機会があったのですが、戦場での銃撃戦のシーンでは手元に着弾したかのような感覚が異常に生々しく、地面から舞い上がる砂埃を吸い込みそうな感覚を覚えたのを記憶しています。

アン・リー監督はこの上映条件で公開したかったのですが、当時4K/3D/120フレームの映像を上映できる設備は殆ど導入されておらず、プレミア上映の際と中国の一部の劇場を除いて、監督の意図しない品質(2K/3D/60フレーム若しくは2K/2D/24フレーム)で上映されることになってしまいました。

今回再び4K/3D/120フレームで制作された『ジェミニマン』でしたが、Dolby Cinema の普及により 2K/3D/120フレームで上映できる劇場が増えたものの、それ以外は『ビリー・リン』の際と同様の状況で、2K/3D/60フレームと2K/2D/24フレーム(通常上映)となりました。

とはいえ、日本では今回初めて 2K/3D/120フレームという上映を体験できる機会が提供されることになったのはよろこばしい状況といえるでしょう。

※一部メディアにおいてドルビーシネマでは4K/3D/120フレーム上映が行われているという記述があるようですが、これは誤りですのでご注意ください。4K/3D/120フレームと2K/3D/120フレームには体感できる違いがあります。4K/3D/120フレームでの上映が行われたのは、特殊上映機器を導入している中国の一部の劇場だけで、これらはドルビーシネマではありません。

実際の上映フォーマットへの変換

実際の上映フォーマットに合わせてオリジナルの映像を変換する必要がある訳ですが、フレームレートの変換は容易ではなく、上映設備の特性に合わせて異なる調整が必要になります。これを誤ると観るに堪えない不自然な動きの映像になってしまいます。

(120fpsから60fpsや24fpsだと、整数倍なので合成する割合を変えるだけで簡単にできるじゃないかと思われるかも知れませんが、そう単純には行かないのです。)

これを支える技術: ShowscanからMagiへ

ハイフレームレートに対する挑戦は実はフィルム時代から行われてきました。そして技術と経験の積み重ねを経て4K/3D/120フレームの制作が可能になりました。ここで忘れてはならないのが近代映画制作における視覚特殊効果のレジェンドともいえるダグラス・トランブルの功績です。

ダグラス・トランブルがハイフレームレートに目を付けたのは70年代後半のことでした。70mmフィルムを使い毎秒60フレームで、撮影から上映に至るシステムを完成させ、多くのテスト映像を制作しました。しかし、これを広く普及させるには至らず、一旦はお蔵入りしてしまうことになりました。

新たな挑戦の切っ掛けになったのはデジタルシネマの登場でした。カメラもプロジェクターもデジタル化され、Showscan Digitalとして3D/120フレームでの撮影と上映が可能となり、フレームレート変換に関わる様々な技術検証が行われました。

これらの検証をもとに Magi(マジャイ)という制作プロセスを確立し、今回の『ジェミニマン』の制作でも活用されました。このプロセスにより、4K/3D/120フレームで制作された映像から、上映機器に合わせた様々なフォーマットの映像に変換できるようになった訳です。

ハイフレームレート上映は何故流行らない?

このように視覚的に圧倒的な没入感を与える方式として、技術的には成熟しつつあるハイフレームレートですが、中々普及が進まない理由を考えてみたいと思います。

作品数が少ない

ハイフレームレートでの制作に関心を示している映画監督といえば、『ホビット』を48フレームで制作したピーター・ジャクソン監督がいますが、新作での採用の予定はなく、『アバター(続編4作)』の60フレームでの制作を表明しているジェームズ・キャメロン監督ですが、他の作品での採用予定は無さそうです。

いずれも人気監督ですが、最も積極的なアン・リー監督を合わせても、今の状況だと数年に1作品しか新作として公開される作品が出てこない見通しなので、これでは知名度を上げるのも中々難しそうです。

作品数が少ないとこの特殊上映に対応した上映機材の導入もなかなか進まず、上映機会が増やせないということは配給会社としても積極的な導入に踏み切るのはむずかしいということにもなります。

違いが分かりにくい

もう一つの問題はこの方式自体のブランディングの拙さということになるでしょうか?

今回新たに『ハイ・フレーム・レート/3D+ in HFR』といったロゴのようなものが作られたようですが、このロゴから今回採用された技術の特徴、凄さは残念ながらまったく伝わってきません。

オリジナルの4Kの解像度は消え去り、毎秒120フレームと60フレームのバリエーションの違いも分からず、これまでの3Dの改良版?くらいの印象しか伝わりません。

4K + 3D + HFR 抱き合わせの失敗

アン・リー監督の拘りもわかりますが、その結果またしても HFR 本来の視覚効果を広くアピールする機会を逃してしまったのは残念な限りです。

より多くの観客に、HFR の驚くべき感覚を焼き付けたかったならば、2K/2D/60フレームか120フレームを主たる配給フォーマットとして使用すべきだったでしょう。

メーカー社員でも。。

実は違いを正確に理解できていないのは観客だけではありません。上映機材メーカーの社員でも極一部の専門家しか正しく回答できないという実態もある様です。

業界内での理解、合意が進むには果てしない道のりがありそうですが、表現方法としてとても興味深い技術であることは間違いないと思いますので、今後の進展に注目し続けたいところです。

投稿者: Yoshihisa Gonno

デジタルシネマ黎明期の2005年から国内メーカーで初のデジタルシネマ上映システムの開発をリード。その当初からハリウッド周辺の技術関係者との交流を深め、今日のシネマ技術の枠組みづくりに唯一の日本人技術者として参画。 2007年から5年間、後発メーカーのハンディキャップを覆すべく米国に赴任。シネマ運用に関わるあらゆる技術課題について、関係各社と議論、調整を重ねながら、自社システムの完成度を高め、業界内での確固たる地位を確立。 2015年からは技術コンサルタントとして独立。ハリウッドシネマ業界との交流を続けながら国内のシネマ技術の向上に向けた活動を続けている。 プライベートでも「シネマ」をこよなく愛し、これまでのシネマ鑑賞(劇場での映画鑑賞)回数は1500回を優に超える。

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