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【記事解説】『質の悪い映写が映画館での体験を台無しにしている』

少し前になりますが、ある業界関係者から表題の記事が共有されました。

知識不足や誤解に基づく記述が入り混じる一方で、昨今の映画館ビジネスの側面を描き出している点も多く、日本における映画館ビジネスにも共通する内容も含まれるので、補足情報も交えながら解説します。

元記事について(元記事へのリンク

雑誌 New York 紙が運営するカルチャー、エンターテイメント関連の論評を載せるウェブサイト vulture.com に掲載された記事ですが、vulture(ハゲタカ)という名前が示す通り、業界ネタを食い荒らす記事が多いのが特徴です。

実際に今回の記事を書いているのは技術的な理解の乏しいジャーナリストのようで、技術内容や事実関係の裏付けのない誤認識に基づく記述も多く、ここから客観的に正しい情報を得ることを期待するのは危険です。原文に興味を持たれた方は、その点ご注意の上、娯楽感覚で楽しむのが良いかも知れません。

元記事の記述が概ね正しいと考えられる内容については補足情報を加えながら解説します。一方、間違った記述については、私自身の知識と経験に基づき、問題点を指摘、訂正します。

概ね元記事の記載順に沿って解説を加えていきますので、一部内容が散漫に感じられる部分もあることもご了承ください。

元記事表題:『質の悪い映写が映画館での体験を台無しにしている』

少し挑発的なタイトルですね。さらに次の副題が続きます。

『シネコンは、“明るく鮮明な映像を提供する”という最も基本的な役割を果たしていない。』

記事はマンハッタンにある複数の大手シネコンの旗艦劇場を視察した際の残念な体験談から始まります。

劇場における映像品質の問題

ネットストリーミングの月額料金よりも高額なチケットを購入したのにという不満に始まり、一連の上映品質の問題が指摘されています。

  • 2D上映にも関わらず3Dモードで上映されたためスクリーンの映像は暗く、見れたものではなかった。
  • 別のスクリーンでは折り目やたるみのあるスクリーンで予告編が上映されていた。
  • 映像が長方形ではなく、台形になっていた。
  • マスキングカーテンが破れているスクリーンがあった。
  • 調整不良の3D上映で不自然に色が強調された映像になっていた。

加えて郊外の劇場ではさらにお粗末な状況であるとも述べています。

冗談のような不具合の例ですが、米国の映画館では珍しいことではありません。私自身のこれまでの経験でも、かなりの確率でこのようなハズレのスクリーンに出会すことがありました。実際元記事に書かれた劇場にも何度か足を運びましたが、概ね納得できる指摘です。

コロナ禍だけが原因ではない

このような状況の大きな要因としてコロナ禍があったことは事実です。

コロナ禍による劇場運営への打撃は日本よりも遥かに深刻で、やむを得ない状況に理解を示しながらも、問題はそれ以前からあったと続けています。

フィルム上映時代と比べて低下した上映機材の管理能力〜映写技師不在

前述の問題は上映機材を適切に管理していればすべて避けられるものですが、劇場での対応能力の欠如について言及しています。

デジタル化により業界全体のオペレーションは効率化されました。

フィルム複製はデジタルコピーになり、フィルム配送は(HDD配送を経て)デジタル配送になり、熟練技術を要した上映オペレーションは殆どがマウスとキーボードで完結するようになり、映画館には映写技師と呼べるような人材は常駐しなくなった訳です。

その結果として一連の上映品質の問題が蔓延することになってしまったようです。

上映輝度低下に関する誤った認識

元記事では Digital Cinema Report というサイトの記述を参照していますが、その参照先の記述中に技術的な誤認識があるだけでなく、その誤りをさらに誇張して誤記引用されています。

この元記事には特定メーカーの映像素子がランプに含まれる紫外線により劣化し、年に1〜2回交換しなければならないと書かれています。

この素子が強力な紫外線に対して耐性が強くないことは既知の事実ですが、光学的に紫外線を除去することでこの問題は低減されており、指摘されるような高頻度で問題が発生することはありません。

もし元記事の指摘が事実であれば、過去十年以上にわたり同方式の上映機材を使用する全米1万スクリーンを優に超える映画館で重大な問題として大騒動になっていたでしょう。

さらに、もしそのような強い紫外線が除去されずに投影されているとすると、映像素子よりもその映像を見ている観客の目に重大な被害を及ぼすことになっているでしょう。

このような初歩的な矛盾に気付かずに無責任にその記述を引用するところからもこの記事の信頼性に疑問を投ぜざるを得ません。

上映輝度低下に関する正しい認識

そもそも上映輝度低下の問題は大昔、フィルム上映時代からあった問題でした。

元記事においてはデジタル上映固有の問題であるかのような説明しかありませんが、フィルム上映とデジタル上映で共通して上映輝度低下の原因となってきた主な要因には以下のものがあります。

  • ランプの劣化
  • レンズ、フィルターなど光学系の汚れ
  • ポートグラス(投射窓)の汚れ
  • スクリーンの汚れ、劣化

これに加えて、デジタル上映固有の問題として、3D上映モードのまま2D上映を行うという通常オペレーション上の問題も加わりました。

フィルム上映時代にはこれらの問題は多くの場合、高度な技術を持つ映写技師が日常的に機材の管理を行い、上映条件を最適な状態に保つ努力がなされていました。(勿論劇場によってはそうではないところも沢山ありました。)

しかし、デジタル上映になってからは日常的な操作が自動化されたため、映写技師と呼ばれるような人材は殆どの劇場で常駐しなくなり、結果として上映条件が劣化していても気付かないまま劣悪な映像を流し続ける状況が広がってしまったようです。

このような状況では最悪の場合、観客が問題を指摘しても、劇場の従業員には何が問題なのかさえ理解できないこともあるようです。

これは映写技師という人件費を削減したことによる弊害であることは否定できないでしょう。

スクリーンマスキングとスクリーンカーテンの廃止による弊害

スクリーンのマスキングとカーテンがなくなってきたことによる弊害にも言及しています。

デジタル上映に切り替わってからマスキングもカーテンも省略される劇場が増え、特に最近の新設の映画館では殆ど全く見かけなくなってしまいました。これに対しても劇場運営者の関心の欠如を嘆いています。

マスキングとは、スクリーン上の本来の映像エリア以外の上下左右の余白部分を黒幕で覆うことで、周辺からの散乱光により映像エリアの周囲のスクリーンが白く浮き上がることを防ぎ、主映像の色調とコントラストを最適に保つために重要な役割を果たすものでした。マスキングのある劇場では映画本編が始まる直前に、本編の画角に合わせて自動的に移動し、スクリーンの余白部分を隠すことができるように作られています。

カーテンは、不使用時にスクリーン面を覆うことにより空気中の埃や微粒子がスクリーンに付着するのを最小限に防ぐためのもので、長期的にはスクリーンの寿命にも影響します。

特に最近の映画のスクリーンの表面は上映効果を最大限に高めるための表面加工、表面処理が行われており、付着する汚れや、誤ったクリーニングによりその効果が失われ、上映効果にも大きく影響します。

残念なことに、近年ではプロジェクターの性能向上とスクリーンの材質向上によりいずれも必要なくなったと考える事業者も増えているようです。そのような事業者はどのような比較評価をしてマスキングとカーテンを廃止しても悪影響がないと考えるのか、科学的に説得力のある説明を聞いてみたいものです。

フィルム上映 vs. デジタル上映 という問題ではない

一部の劇場では、かつてのフィルム上映の品質を懐かしむように、35mmや70mmのフィルム上映設備を売りにするところもあります。

しかし、機材を導入するだけでは映写技術を取り戻すことはできず、多くの場合は宣伝文句のひとつとして使用されるだけで、かつての最高品質のフィルム上映には遠く及ばない品質であることを指摘しています。

逆にデジタル上映でも適切に管理された状態であれば、かつてのフィルム上映の品質と同等以上の映像を出すことができることにも言及しています。

フィルム方式とデジタル方式の映写設備自体の優劣よりも、いずれの方式でもそれを最適な状態で運用する映写技術が伴わなければ高品質な映像は得られないことを示唆するものです。

レーザープロジェクターへの懸念

ここ数年の流れとして、同じデジタル方式の上映設備でもランプ光源からレーザー光源の設備に更新する風潮にも警鐘を鳴らしています。

レーザー光源はランプ光源と比べて(適切な使用条件を守っていれば)一般的に長寿命で省電力だと謳われています。

その一方で、スペックルというレーザー光特有の問題が発生しやすく、設置、調整、管理において、ランプ光源のプロジェクターよりもさらに専門的な技術と知識を必要とします。

実際、私自身の経験でも米国内のレーザープロジェクターで問題が起きたまま上映されているのを何度も見てきました。さらに残念なことに、同じ問題が国内でも発生しているのを確認しています。

元記事では触れられていませんが、レーザー光を長期に渡り見ることによる人体(視力)への影響について十分な医学的検証が行われたとは言い難く、全く手放しで歓迎できる技術であるとは考えられません。

家庭用映像機器の脅威

家庭用の大型4Kテレビが低価格で入手できるようになり、映画館での上映品質に大きな疑問符が投げ掛けられる状況が改善されなければ、これまでの映画ファンの多くが映画館と決別し、自宅で見るという選択肢を選ぶかも知れないと警鐘を鳴らします。

如何なる最高級の家庭用テレビで見る映画鑑賞も最適に整備された設備を備える映画館での体験には敵いません。

一般的な家庭では映画館に勝る視聴環境を確保することは現実的に不可能なことと、劇場用のコンテンツパッケージは家庭用に配信されるコンテンツパッケージに品質的に優っていることが大きな理由です。

しかし、十分に整備の行き届かない映画館で見るのであれば、最新の家庭用のテレビを暗くした部屋で見る方がましな場合もあります。

劇場用LEDディスプレイの可能性

映画館のスクリーンを劇場用LEDディスプレイで置き換える可能性にも言及しています。

単純に映像品質だけで比較すると、現状最高の映像体験を提供できると考えられる機種もあります。

しかし、DCI認証が得られている機種の間でも性能のばらつきが大きく、LEDディスプレイの認証基準も定まらない状況では、本格的に移行するにはまだまだ大きなリスクが伴うでしょう。

音響に対する課題に対してもまだ決定的な解は存在しません。

さらに、プロジェクターとは全く異なる技術を採用した新しい機材を日常的に正しく管理運用できるのかという点についても、まだ実績と呼べるものがありません。

映画制作者との認識の乖離

最後に映画制作者との認識の乖離が問題の根底にあることも指摘しています。

よく著名映画人が新作の映像体験の素晴らしさを語る記事を目にします。しかし、彼らが一般公開前に観る映像は一般の映画館ではなく、映画会社や制作会社が所有する特別に整備された上映設備であり、文字通り制作者が意図した通りの映像を映し出すことができる設備であることを忘れてはなりません。

それに対し一般の映画ファンが体験できる映像は、たとえプレミアムスクリーンと呼ばれる映画館を選んだとしても制作者が最終確認した品質には及びません。

映画制作者の多くは一般の映画ファンがどのような品質の上映を体験させられているかを知りません。そのような観客に対する無関心さが結果として市中の映画館の品質低下を放置、拡大する結果につながっていることは否定できない事実ではないかと考えます。

ここまでが概ね元記事に書かれていた内容に対する解説となります。

日本国内では…

元記事に書かれている内容は米国内の状況に基づくものでした。

しかし、個々の問題、課題の進行状況には差があるとはいえ、基本的に全てにおいて日本でも同様の状況が進行していると考えられます。

音響品質の課題については殆ど触れられていませんが、映像品質の問題の深刻さに比べれば、まだ映画館の優位性が保たれている言えるのかも知れません。

一方、日本固有の問題として、字幕品質の問題があります。これについては本サイトでこれまでにも随所で触れてきましたが、映画館での体験を台無しにする要因のひとつであると考えるべきです。

多くの場合、映画館で使用される設備と素材は、家庭で使用できる設備と素材を技術的に凌駕するものなので、映画館には映画ファンが安心して高品質な体験をできる機会を提供する努力を続けて欲しいものです。

作成者: Yoshihisa Gonno

デジタルシネマ黎明期の2005年から国内メーカーで初のデジタルシネマ上映システムの開発をリード。その当初からハリウッド周辺の技術関係者との交流を深め、今日のシネマ技術の枠組みづくりに唯一の日本人技術者として参画。
2007年から5年間、後発メーカーのハンディキャップを覆すべく米国に赴任。シネマ運用に関わるあらゆる技術課題について、関係各社と議論、調整を重ねながら、自社システムの完成度を高め、業界内での確固たる地位を確立。
2015年からは技術コンサルタントとして独立。ハリウッドシネマ業界との交流を続けながら国内のシネマ技術の向上に向けた活動を続けている。
2018年から日本人唯一の ICTA(国際シネマ技術協会)会員。
プライベートでも「シネマ」をこよなく愛し、これまでのシネマ観賞(劇場での映画観賞)回数は1500回を優に超える。

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